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「恭介君に、行方不明になった友達なんてっ」
「こっちの恭介にはいないみたいだな。でも恭介は恭介だ。顔だけの胡散臭い女とつきあい始めたから、探ってみれば打算まみれの日記に、おかしな事が書いてある。
売春婦は別にいいよ。そうと知ってる男と付き合うのもさぁ、別にいいよ。双方の合意があればね」
彼はポケットから携帯を取りだし、フェンスにもたれたまま操作し、すぐに顔を上げた。
「でもさぁ、恭介は違う」
そうだ。恭介君は違う。違うから選んだ。顔が良くて、お金持ちで、救いようのないぐらい良い人だったから。
「大切な親友を不幸には出来ないだろ。
どんなヤバイ病気を持ってるかも知れないし、後腐れの無いようにしないとさ」
後腐れ…………。
いや、それよりも。
「あんた、自由に行き来が出来るの?」
「出来ないよ。ただ、今の君を表す言葉があるとすれば、君は俺の所有物なんだ。所有物。分かる?」
所有物……。
この木刀。
「まさか、それだけで……」
私が所有したから。
「こちらに来ちゃうみたいだよ。これは俺の物って思いながら掴むとね、生き物でも引き込めるみたいだ」
彼はケラケラと笑った。
妖怪ではない。
私と同じ状態で、私の存在を握っている。
「一応言っておくけど、俺を殺したら君、帰れないからねぇ。まあ、女の子が木刀で人を殴り殺すなんて難しいけどさぁ。
それでどうしようと思ったの?」
彼は再び笑う。
それは裏を返せば、彼は帰る事が出来ず、私は出来る。
もしも私が彼の立場であれば……あまり、いい想像は出来なかった。
もし、誰とも会話できない事態で、誰かをその状況に引き込む事だけは出来たら。
私なら、一人だけ帰るなんてことは許さない。
「わ、別れればいいの?」
「はぁ?」
私の提案に、彼は首をかしげた。
「それって君が恭介を振るって事? 可哀想じゃん。恭介はあんないい男なのに、君みたいなアバズレに振られるなんて、人生の汚点だよ」
「振られるように、嫌われればいいの?」
「はぁぁあ?」
裏返った声を出し、彼は一歩近づいた。
「どうやって? 浮気でもするの? 自分が汚いからって、恭介まで汚さないで欲しいなぁ」
彼の表情にあるのは、嫌悪感だった。それ以外には何もない。見下して、私の事を女とも、人とも思っていないかのように、冷たい目を向けてくる。
「一番、いい解決方法ってなんだと思う?」
ランタンの人工的な光が、彼を不気味に照らしている。
「引っ越す?」
「そうだね。引っ越して、自然消滅が理想だけど、恭介は飽きっぽくないから、消滅してくれるかどうか分からないんだよね。
そんな所が良いんだけどさ」
彼はくくっと笑う。とても強い執着を感じた。男同士で、こんなにも強い執着を?
「君には理解できないだろうね。本物というものが。俺には恭介と父さんと母さんだけが本物だったんだ」
本物。
そんな物知らない。私は知らない。見た事もない。みんな屑。ゴミか使える道具のどちらかでしかない。
クソったれな親も、金を持った男達も。
「俺はお前みたいな奴が、大切な本物に触れた事が許せない」
やはり始めから、帰す気など無いのだ。
私は背中に手を回し、差し込んでいたそれを手に取った。
途中で寄った交番で、こっそりいただいた拳銃。
「私を帰して」
両手でしっかりと構えて、銃口を彼に向けた。震えてはダメ。しっかりと、前を見て、目をそらさないで。
目を背けては生きていけないのは、今までだって同じだった。
「はん。日本のお巡りさんからそんな物盗むなんて、俺より怖い女に追いかけられるぜ。だいたい、当てられるとでも思ってるのか?」
五メートルも離れていると当たらないと聞いた事がある。こんな物、今まで触った事もないから、脅しにしか使えない。
「だいたい、使い方間違ってるしさぁ。安全装置があるの知らないのか?」
……安全装置。
聞いた事がある。
「くふふっ……」
彼は喉を震わせた。確認すれば、その間に距離を詰められる。暗いから、一瞬ではすまないだろう。
こんな男、死んでしまえばいいのに。
男なんてみんな死んでしまえばいいのに。
人間なんてみんな死んでしまえばいいのに。
みんなみんな、無くなってしまえばいいのにっ!
「あぁ、来た来た」
私はその言葉を聞いて、背後から足音が近づいてくるのに気づいた。
階段を上り終え、私の背後に立とうとする何かの気配が、確かに感じられた。
「やぁ、よく来たね。約束通り、女を用意したよ」
用意? 何を? なんで私が?
恐る恐る、振り返った。
不細工な、本当に不細工な男が立っていた。顔は歪みきっていて、あばただらけ。前歯が抜けていて、まるでホラー映画に出てくるバケモノのよう。どれだけ金を積まれても無理だと思ってしまうほど、とても気色の悪い男だった。
「か、かわいい……なぁ」
「ひっ」
しゃがれた声で男に褒められ、全身に鳥肌が立つ。
「きれいだなぁ……」
泥のように汚い濁った目で私を見る。
「犯そうが、煮ようが、焼こうが、ご自由に。悲鳴も何処にも届かない。絶対にね。約束の物をそこに捨てておいてくれれば、それでいい」
「お、おう」
男は背負っていた登山用のリュックを下ろし、中から何かを取り出す。
のこぎり。
のこぎりだ。
「どうせ地獄に落ちるんだ。悔いの無いように楽しんで」
「ああ、ありがとうよ、坊主」
私は安全装置を外して、至近距離に立つ男に向けて銃を撃った。
それは男の腕に当たった。血は出ない。痛みを顔にも出さない。
「残念だったねぇ。その人、自分の腕を自分で食べちゃったんだって」
男の子が私の背後に立った時、ばちばちと耳元で音が鳴り、一瞬気が遠くなって倒れた。私の手から拳銃が落ちて、男の子が拾う。
「これは俺が返しておくよ。おまわりさんが可哀相だしね」
男の子はスタンガンを屋上から投げ捨てた。
「あとは手首でも捨てて置いて。
久しぶりに人と長く話して、楽しかったよ。じゃあね、お兄さん」
彼はバケモノのような男に笑顔を向けて、親しげに手を振って立ち去った。
残されたのは力の入らない私と、のこぎりを持ったバケモノだけだった。
「私が聞いたのは女の子じゃなくて男の子なの。
女が男に酷い事をしたら、引きずり込んで殺すんだって」
「女が男に?」
「痴漢冤罪で死んだ人の怨念とかなのかなぁ?」
「ぷっ、何それ。じゃあ男が女に酷い事をしたら?」
「怨念だから融通が利かない?」
「ぷぷっ、小さい男」
「で、残るのは手首だけ」
「へぇ、ぷくくっ」
「何で笑うの?」
「だって」
彼女はちらりと視線を移した。
「次の犠牲者がいるとしたら、まさにあいつじゃん?」
「ああ、確かに。ねぇ知ってる? あいつのオヤジ死んでるじゃん。それってあいつが殺したって噂だよ。親にウリやらされてさぁ」
「うわぁ、知らないオヤジとヤるぐらいなら、あたしは死んだ方がマシだわぁ」
「きったないよねぇ。まあ、私達には関係ないしい」
青ざめる少女を肴に、彼女たちは笑った。
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魔道書店の稀書目録 ペンの天使に悪魔の誘惑
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2011/02/21
向こう側
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