白夜城ブログ

4話

 お城は広い。広いから少しずつ覚えていく。贅沢な暮らしをした挙げ句に部屋の中にじっとしていては、やはりどうやっても徐々に太ってしまうので、少しずつ城の中を探険することにした。大好きなエンダーのお城だから、ノイリはここが大好きだ。変わっているので、探検も意外に楽しい。
 歩き疲れると座って休憩して水を飲む。無理は禁物。倒れたら迷惑をかけてしまう。
 最近は書庫をみつけて、そこがとてもお気に入り。同じ言語を使っているので、少しばかり綴りか違うこともあるが読める。今まで読ませてもらったことのない類の本もたくさんあって、買われた当初のような退屈はなくなった。
 古い紙の匂いは好き。新しい紙の匂いも好き。
 書庫で読むこともあれば、部屋に持ち帰って読むこともある。
 他には楽器も見つけた。いろいろ試して、地上でよく弾いていた楽器によく似たのをいくつか見つけてそれを借りた。弓で弦を弾く楽器も好き。
 地下に来る前までは楽器を奏でるか本を読むかが退屈しのぎだった。練習しろと言われていたのに、監視はうるさいと言うから大嫌いだった。練習しないと彼女の存在意義がなくなる。主が客を連れてきたとき、不快な音を聞かせてしまう。捨てられたら嫌なのに、うるさいと言う監視が大嫌いだった。でも最後の監視はどんな楽器を弾いても叱らないし、練習したてでへたくそでも怒らなかった。
 この城は広いのでうるさいとも言われないから幸せ。練習していると、褒めてくれるから嬉しい。
「おや、ノイリ。休憩かい」
 声がした方を見る。ネズミのマルタが歩いてきた。マルタはとても可愛いから大好き。エンターの指示で女の子が喜びそうなメイドをあてがってくれたらしい。彼女の息子は独り立ちし、夫も先立っているらしいので、いつも城にいるからとっても安心。
「お水はまだあるかい」
「はい」
「相変わらず難しい本を読むんだねぇ」
「楽しいです」
 意味が分からなくても、文字を読むのは楽しい。この国のシステムがよく分からないから、小説よりもまず歴史について勉強しようと思い、挫折ぎみだった。難しい本はたくさんあるのに、簡単な本はあまりない。
「道は分かるかい」
「はい」
「女の子は方向音痴でも可愛いけど、迷子になる前に誰かに声をかけるんだよ」
「はい」
 マルタはじゃあねぇと言って去っていく。
 ノイリは少し休むともう一度水を飲んで立ち上がる。
 本当にありの巣のように入り組んだこの城は、気を抜くと迷い、一度など皆で探されたことがある。それ以来反省して、彼女は目印を置いてくるようにしている。子供部屋にあったボードゲームの駒だ。
「よいしょ」
 翼を動かして勢いを付けて立ち上がり、駒を拾って部屋に戻る。
 しかし途中、なぜか駒がなくなった。
 誰かが拾ってしまったらしい。
 しかし部屋はもうすぐのはず。迷う事なく帰れるだろう。
 角を曲がろうとしたとき、いい匂いがした。匂いがする方を向くと、少し変な匂いも混じってきて顔を背ける。
 エンダーはノイリが好きではない油っぽい物をばかり食べる。食材もなんだか気持ち悪い。だから目の前でごちそうを食べていても、うらやましいとは思わない。それはとても大切なことだ。自分の好きな物を目の前でたくさん食べられたら、きっと耐えられないだろう。
「うと……あれぇ?」
 ノイリは首をかしげた。
 なんか変。
 自分はどちらに向かっていたのだろうか。
 少し考え、見覚えがあるような気がする方へと足を向ける。
 その時は、きっと大丈夫だと考えていた。



 退屈だった。
 区王の定期集会はいつも退屈だが、拍子抜けするほど平和なこの五区はとくに退屈だ。
 血の臭いがない。町での犯罪すらあまりないらしい。退屈で平和な町だ。こんなに平和では、することが何もない。
 多少は楽しみにしていた「魔族のように美しい天族」というのもいない。見せる気はないのだろう。他の王なら積極的に見せるのだろうが、ここのエンダーは変わり者だ。平和主義で、それなりを保てればいいと思っている。
 弟や妹もそうだ。能力と地位はあるのに、向上心はない。とくに弟の方は身分というものを理解していない。
「エンダー様」
 休憩をしようと会議が中断され、色気もないトカゲ女が配る黒茶を飲んでいたときだ。エリマキトカゲが、トカゲのようでなければならないはずなのにカエルの化け物にしか見えないエンダーへと耳打ちする。
「ノイリが……」
 女の名前が出た。
 彼は手の届かない女にしか興味がないことで有名だ。どうせまた振られたに違いないと内心せせら笑う。
「またどこかで泣いていそうだな。何人か手を割いてやってくれ」
 泣いている女。すぐ泣く女。
 また悪趣味な女に興味を持ったものである。
 そういう女は、差し伸べる手にすがるだけすがって、別の男の元へと走り、平然と祝ってくれと言うものである。エンダーの場合はそれが多々ある。
 そういう女が好みなのだろう。
 彼は苛立ちを静めるように息を吸い、立ち上がる。
「ユーリアス様、どちらへ」
「……便所だ」
「お一人で大丈夫ですか」
「控えていろ」
 連れてきた従僕を黙らせて、彼は会議室を出る。
 幼い頃から側にいるせいか、いつまでも子供扱いが抜けない。会議の休憩中に悪さをしに行くとでも思っているのだろうか。幼い頃ならしただろうが、今はすでに大人の扱いを受けている。それぐらいの分別なくして、区王など勤まるものか。
 会議室からほど近い便所を使用して、少し気が晴れたところで来た道を戻る。
「帰ったらあいつらをもう少しどうにかしないとな。私は恐れられるべきであるのに」
 部下達がなめているから、彼は若造と侮られる。
 血で血を洗う争いに打ち勝った、血染めの王である彼が侮られているなど、おかしいではないか。
 そんな折り、ふと足を止めた。
「ん?」
 少し、おかしい。それほど遠くない会議室になぜたどり着かないのか。
 幻惑の術などかかっているはずもないので、ひょっとしたら道を間違えたのかも知れない。来た道を戻り、これと思う角を曲がる。
 しかし行けども会議室はない。
 もう一度戻って──それを繰り返す内に本格的に見覚えのない暗い場所に立っていた。
「なぜだ……なぜ、なぜこの城はこうも無駄に入り組んでいるっ!」
 彼は壁を蹴りつけて立ち止まる。
 大きく息を吸い己を落ち着かせると、どこからか子供の泣き声が聞こえてきた。エンダーが子供を虐待しているとは思えないが、使用人なら可能性はある。
 今大切なのは、そこにこの城の住人がいるというただそれだけの事実だ。
「おい、誰かいるのか」
 彼は声をかけてから声に近づく。相手の泣き声、声の反響から、なんとか白い翼の生えた後ろ姿が見える場所にたどり着いた。小柄で痩せていて、白いドレスを着ている。
 どうやら噂に聞く天族の子供のようだ。
「おい」
 近づきながら声をかけるとそれは振り返った。
 涙で汚した愛らしい顔を、何が嬉しいのか輝かせて。
 エンダーが大金を出して買った理由が分かった。本当に顔かたちの整った少女なのだ。あのような顔をされては、その手の趣味がなくとも心は和む。
 それを見て少し心が揺らいだ瞬間、少女は再び泣き出した。
「いやっ、コウモリおばけっ」
 恐れられるべきだと思っていたが、彼の思う恐れとは遙か遠いその言葉に、彼は少し傷ついた。
 誰がコウモリお化けだと怒鳴りつけてやりたいどころだが、地上で暮らした彼女にとって地下の者は慣れぬのだろう。全体数が少ない闇族など見たこともないに違いない。
 これではエンダーもさぞ怯えられていることだろう。
 ユーリアスは大人だ。この国の道理も知らぬエンダーのペットに怒鳴りつけては大人げない。こういったぐずな愛らしさにも価値はある。
 こうしていても、姿ばかりは可愛らしいではないか。
「天族の娘、そこで何を泣いている」
「…………だれ?」
 少女は涙をぬぐいながら彼を見上げる。
「ユーリアス」
「コウモリおばけじゃない?」
 彼女の傍らに本が落ちている。装丁からしてホラー小説だろう。
「恐がるのなら一人で暗い場所でそんな本など読むな」
「ご、ごめんなさい」
 言って肩にかけたポシェットからハンカチを取り出して顔を綺麗にする。それをしまったかと思うと、小さな水筒を取り出して飲む。
「落ち着いたか?」
「はい」
 彼女は水筒もしまい、大きな青い瞳をユーリアスに向ける。まだ少し怯えの色がある。
「ちょうどいい。お前、案内しろ」
「あんない?」
「お前の泣き声のせいで会議室への道が分からなくなった」
「かいぎしつ?」
 エンダーはこの子供には何も話していないようだ。話しても意味もない。子供は好奇心旺盛なものだ。のぞき見しに来る可能性もある。
「とにかく、使用人のいる場所まで案内しろ」
 奴隷といえども愛玩用なら使用人よりは上の立場だ。意地悪をされて虐げられるようなことはないだろう。服装も金がかかっているし、
「ここ、どこですか?」
「どこって」
「わたし、よく迷子になるんです」
 ユーリアスは少しでもこの抜けていそうな顔だけの子供に期待した己を恥じた。まさに見た目だけだ。
「仮にも自分の家だろう」
「でも、まだ買われたばかりで……」
 子供で、しかも女だ。この複雑な城で迷うのも道理だ。
「仕方がない。この城は複雑で似たような景色が続く」
「そうですよねっ」
 少女は嬉しそうに笑った。先ほど人の顔を見ておばけ呼ばわりしたのは忘れているのだろうか。鶏は三歩歩けば忘れると言う。しかしこれだけ顔が良ければ多少頭が抜けていても生きていくのに問題あるまい。ペットはしつけさえ出来ていれば多少馬鹿な方が可愛いとも言う。
「仕方がない。二人でばらばらに迷っていても意味がないからついてこい」
「はい」
 天族の娘は素直にちょこちょことついてくる。
 所かしこについた飾りのリボンがふわふわと揺れて、エンダーの趣味に少しだけぞっとした。可愛いのは認めるが、あの醜い蛙の趣味だと思うと似合わない。もちろんエンダーにだ。彼女は似合っている。馬鹿らしくなるほどに。
「そういえばお前の名は」
「ノイリです」
 ノイリ。聞いたことがあると思えば、エンダーが口にしていた女の名だ。
 泣いているとは、この天族のことだったのだ。実際に泣いていたということは、この娘はたびたび泣いていることを意味する。
 美しい少女の涙と、その後の笑顔は確かに愛くるしい。
 ペットというのも悪くないかも知れない。



 エンダーは目を伏せる。
 今回集まったのは、さすがに全員が全員区王ではないが、代理の者も身分のある者だ。
 己の分をわきまえ、他人の城で好き勝手するとは考えられない。
 が、姿を消したのはまだ四区を統べる年若い闇族の王。エンダーもあまり好きではなかった長男を虐殺し、これまたエンダーが嫌っていた次男も虐殺し、エンダーが目の敵にしていた実の父親を殺して王になった。
 家督のために身内を殺すことは珍しくもないことだが、上の者をすべて殺すのは、さすがに珍しい。
 嫌いな一家の一人だが、あの少年王の事は嫌っていない。
 四区にはコアトロがいる。奴は実質的な四区の支配者であった。
 彼はそれに危機感を覚えたからこそ行動して、今では民の支持もある。血の気は多く情け容赦ないが、父親よりはよほど賢君だ。
 その血気盛んな少年が、トイレに行ったきり帰ってこない。
 配下の闇族が探しに行ったが、見つけられないで戻ってきた。
「あの若造は何を考えているっ」
 六区を統べる巨漢の獣族ヨルヘイルが机を叩く。彼がたびたび物を壊すから、彼を通す部屋のインテリアは壊れにくい物を選んでいる。机も無事だった。
「申し訳ございません。主は少々、方向感覚が……」
 闇族が恥じ入る様子で頭を下げる。
「コウモリのくせに道に迷うのかっ!?」
「お恥ずかしいことでございます」
 ヨルヘイルが呆れた様子で手で額を覆う。
 彼はこの城のどこを通っても迷わない数少ない客人だ。
「落ち着かれよヨルヘイル。我が城で迷う者は少なくないのだから仕方がないよ」
 さすがに、トイレに行ってこの短距離から迷った者はいないが。
 ノイリでも迷わないだろう。
 あの若者、恐るべき方向音痴である。ヨルヘイルではないが、音を聞いていれば人がいる方向なら分かっただろうに、なぜそれをせずに迷ってしまったのか、理解に苦しむ。
「ヘイカー、ノイリのついでにユーリアスも探してくれ」
「すでに手を回しております」
 価値のある物を盗んでいる可能性も否定は出来ないため、姿が消えたときから手配していたのだろう。
 年若いが馬鹿ではない。方向音痴らしいが、馬鹿ではない。基本的に聡明な少年だ。ただ経験がないだけである。わざわざ盗みを働くなどということはないだろう。
 父親や兄に比べれば、他人を虐げて甘い汁をすするタイプではなく、程度と、それに立場を理解しているはずだ。少なくとも、他区で好き勝手をするようなことはない。
 それに彼が王になったとき、あの気にくわない者達が城に来ないというだけで喜んだものである。
 城が多少荒らされようとも許容範囲だ。
 彼の死んだ父や兄達は、確実に盗んでいくから。
「お手数をおかけします」
「よい。我が城の者は皆、迷子捜索にはすっかり慣れている」
 長く勤めていると自然とその技術が磨かれる。最近はノイリが愛らしく泣いていることが多いものだから、皆が真剣に探す。探し出したときの笑顔が可愛らしいらしい。気立てのよい子だから使用人達にも好かれている。
「それよりもノイリが万が一あやつに出会ったら、怯えるだろうなぁ」
「まさか手を上げるようなことは……」
 ノイリを可愛がっているヘイカーの顔色が変わる。
「ノイリ様とは」
「天族の子供だよ」
 ユーリアスの配下の問にエンダーはため息をついた。
「それならば杞憂にございます。主は子供に手を上げるようなことはなさいません。弱者を虐げる姿は醜いと常々口にしております」
「なら良いのだが」
 まったく困った子供達である。



 ノイリは少し泣きたくなった。
 一緒にいる男性と言うよりも男の子といった方がいい年頃のコウモリ男は、いらいらした様子で当てもなく歩き回っている。ノイリになど言われたくないだろうが、方向音痴のようだった。
 彼はコウモリ男でも、顔がコウモリなのではない。耳とか、翼とか雰囲気がコウモリなのだ。もちろん人間とは多少違う顔立ちだが、変装の仕方によっては人間の中も紛れることは出来るだろう。おそらく亜人間型の中でも比較的人に近い姿で有名な闇族という種族だ。
 吸血鬼もその正体は闇族であると聞いている。子供達が怖い話をしていたら、巫女がそう教えてくれた。
「まったく、窓がある場所に出れば飛んで入り口に行けるのに」
 コウモリのような翼をばさりと一瞬広げ再び身を包む。ますますコウモリのような仕草だ。コウモリと違って足腰はしっかりしているようだが。
「あの、ユーリアス様」
「なんだ」
「ここ、さっきも通りました」
「何っ!? なぜわかるっ」
「ユーリアス様ときどき羽を広げて壁こわしてます」
 ノイリが指さした壁の傷を見ると、彼は思い切り顔をしかめる。
「狭い通路が悪いっ!」
 彼にとってはそうなのだろう。エンダーですら通れない道はないらしいので、道の幅に関しては誰も不便をしていない。大きな物を運ぶための広い通路も、飾られた通路もあるから、普通はこんな所お客は通らないが。
「まったく、アリの巣かここはっ」
 ノイリもばさりと羽を広げる。翼は時々広げないとなんだかうずくのだ。もちろん彼女の柔らかな羽は壁を傷つけることはない。
「本当はじっとしているのが一番なんです」
「この私に助けが来るのを待てと言うのか」
 プライドは高いらしい。
 プライドは場合を考えて発揮しないと滑稽に見えるとエンダーが言っていたが、これがそうなのだろう。エンダーの言葉は分かりやすい言葉だったのだ。
「こんどはこっちに行きましょう」
 少しうんざりしながらノイリは先に歩く。
 あまり近づくと翼を広げられたときに怪我をするので、距離感は大切。
「ユーリアス様は、何をしにこのお城にきたんですか?」
「会議だ。区王が集まる会議で、情報を分け合ったり決めごとをしたりする。半分ぐらいは代理だがな。反対側の区だと大陸横断しなければならない」
「くおー?」
「お前の主も区王だろう」
「王様。ユーリアス様も区の王族なんですか?」
「私は王だっ! 四区王!」
 ノイリは少し驚いた。
 方向音痴の王様。
「何がおかしいっ」
「ご、ごめんなさいっ」
 怖い顔で怒鳴られて、ノイリは再び泣いてしまう。目つきが鋭くて怖い。ニアスも鋭い目つきだが、怒鳴ったりはしない。優しい。だから大好き。でもこの王様は怒鳴るから怖い。
「な、何も泣くことはないだろうっ!」
「ふぅ……っ」
 袖で拭おうとして慌てて留まり、ハンカチを取り出して目に当てる。
 しばらくくずくずしていると、ユーリアスが足を止めて待ってくれる。
 それ以上は何も言わず、ノイリが落ち着くまで待ってくれた。怒鳴るが、意地悪ではないので嫌いではない。
「声が……」
 ユーリアスは小さく呟いた。
「こい」
 手を引かれ、足の速い彼に必死でついていく。しばらく行くと、本当に声が近づいてきた。
「ノイリっ、どこだいっ! いたら返事をおしっ」
 よく知った声にノイリは涙を引っ込めて顔を上げた。
「マルタっ」
 ノイリは声のした方に駆ける。
 しばらく行くと、ちょこちょこ走り来るマルタが見えた。
「おやおや、また泣いていたのかい。しょうがない子だねぇ」
 抱きしめられて、嬉しくなる。マルタは見た目も可愛いし優しいから大好き。
「おや、若君も一緒にいたのかい。
 一同探しておりましたよ。ご案内いたします。どうぞこちらへ」
 ノイリはマルタにしがみついて歩いた。
 今日はたくさん歩いてとても疲れた。歩きながら水を飲むと、お行儀が悪いと叱られた。
 エンダーのところに戻れたら、コップ一杯の水をもらおう。



 エンダーは膝の上ですよすよと眠る金糸雀のような少女の頭部を優しく撫でる。
 せっかくだからと皆の前で歌い、緊張して疲れたのかエンダーが抱き上げてやるとすぐに眠ってしまった。
「いやいや、噂どおりの美声だった。エンダー殿の趣味を疑ってしまったが、これは確かに手元に置いておきたくなる。女のいやらしさが微塵もないのもよい」
 ヨルヘイルが眠るノイリを覗き込みながら言った。
 幼さもあるが、線が細いために色香もないので、それがますます愛らしい。色気のあるような女を嫌うヨルヘイルはそれが気に入ったようだ。
 大きくなってもこのまま愛らしくいてくれるだろうかと不安になる。
 天族とは大人も小柄で性別が見た目では分からないという。つまりは女が女らしい丸みもなく、男が男らしいたくましさもない。だからそこまでいかずとも、ヨルヘイルが嫌う、色香を武器にしてにじり寄ってくるような女には、どうやってもなれないだろう。
 彼女は現時点で、自分で動かずとも周囲が勝手に貢いでくれる女だ。
 買い与えて笑顔を向けてくれるだけで幸せになれる、そんなある意味一番厄介な女だ。そういう女がいることを、ヨルヘイルは知らない。
「この子は大きくなってもあまり変わらないだろうなぁ」
 生命維持のために必要な分しか食べていない。太らないし、大きくなるための栄養も足りていない。
 大人になっても小柄で線が細いに違いない。さすがに丸みは帯びるだろうが、色気は身につかないだろう。
「どうしたユーリアス。先ほどから呆けているが、あの愛らしい天族に惚れでもしたか」
 七区の女王、まさにヨルヘイルが嫌う典型的なタイプの魔族の美女、ティリスが言う。我に返ったユーリアスは、真っ赤になってぶんぶんと首を横に振る。
 争い事は得意だが、色恋沙汰にはまだ縁がないらしい。言うのが美貌で名高いティリスであることが、さらに羞恥をあおるのだろう。
「ただ、歌が、耳に残って」
「役立たずの耳にも、歌は残るか」
 ヨルヘイルの嘲笑で顔が赤らむが、迷子になった手前、役立たずの耳を否定できないでいる。どうせ歩きながら他事でも考えていたのだろう。子供の思想は大人になってみると突飛すぎて追い切れなくなってくるものだ。
 エンダーは微笑ましく思いつつ言う。
「せっかく近いのだ。もしまた聞きたかったら遊びに来るといい。そちらの珍しい果物でも土産にしていただければ、この子もきっと喜ぶ」
「果物が好きなのですか」
 照れを隠すように視線をそらしながら言う。よほど彼女の歌が気に入ったらしい。
「甘い物は好きなようだが、今がかなりの肥満状態らしくて、これ以上太ると死ぬらしい」
「死……」
「普通の生活をせぬから天族は天族なのだ。それから外れればもろいものだよ」
 安心しきって眠る、大人になるにはまだ遠い少女の背中を撫でる。
「あれだけの魔力を持ちながら?」
「すっかり城下の人気者でな。歌を聴くと体調が良くなるから、街中の医者が儲からないと嘆いているよ。
 歌が聞こえない夜はこの子の体調が優れないと思ってか、色々な品が届いておかしい限りだ。この子は栄養を取った方が体調が優れないからなぁ」
 それでも美味しい物を一口食べたときの幸せそうな表情を見ると、つい買い与えてしまいたくなる。
 ニアスに釘を刺されているから、なかなかそれも出来ないが。
「闇族もやせ型が多いから、そちらの女の子が好むような物を教えてもらえると、助かるなぁ」
「しかし……それは私に怯えていた」
 目つきが鋭いせいだろう。ノイリが初対面で怯えないのは、可愛らしい獣人ばかりである。
「大丈夫だよ。この子は何にでも怯える。この部屋に来たときは、怯えていただろう。あれは全員に怯えていたんだ。ユーリアスにはもう怯えはせんさ。わしにすら初日で慣れたこだからなぁ」
 一緒に迷子になる区王には、呆れてはいるかも知れないが。
「それでは、女達に聞いてみよう」
 ユーリアスは表情を殺して頷いた。
 素直ではない──素直になどなれない環境で育ったため、頼ることを知らない。見本となり指導してくれる親がいないから、彼は立場に振り回されているらしい。
 エンダーも始めはそうだった。弟たちはその頃この少年と同じ程で、愚痴を言う相手もいなかった。
 その時に助言をしてくれたのが、前七区王。今は退いてのんびりと老後を送っているらしい。
 引き際も心得たすばらしい方だったが、無欲すぎるのが長所であり短所でもあった。
「しかし、そなたに懐くというのも不思議だ」
 ティリスが眠るノイリの頬を赤く塗られた爪で突きながら言う。
「愛情をそそいでおるからなぁ」
 懐かれなかったら悲しいではないか。懐いてくれたからより一層愛おしいのだ。愛おしいから、迷子になるのも微笑ましい。泣きついてくる先がエンダーだからこそ、より愛しい。
 娘というのが出来たら、きっとこのように思うのだろう。
 だから、結婚は早くしたいものである。

back    next

誤字の報告はこのフォームからお願いします


魔道書店の稀書目録 ペンの天使に悪魔の誘惑 (一迅社文庫アイリス) 魔道書店の稀書目録 ペンの天使に悪魔の誘惑
7/18発売
盗まれた〈天使の書〉の噂を聞きつけてメイザス魔道書店にやってきたジールは、奴隷にのようにこき使われている天使達と出会い、〈天使の書〉を買い戻すために書写師として働くことになる。ジールにだけは優しい悪魔の如き美貌と性格と能力を持つ店主と、天使のような(見た目の)少女の魔道ファンタジー。

2007/08/09   窖のお城   87コメント 0     [編集]

Comment

 

Pass:   非公開:    

.

最新記事のRSS

.

更新履歴 カテゴリ コメント

.

.

拍手

.

リンク

.



.

.

.