白夜城ブログ

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魔道書店の稀書目録 ペンの天使に悪魔の誘惑 (一迅社文庫アイリス) 魔道書店の稀書目録 ペンの天使に悪魔の誘惑
7/18発売
盗まれた〈天使の書〉の噂を聞きつけてメイザス魔道書店にやってきたジールは、奴隷にのようにこき使われている天使達と出会い、〈天使の書〉を買い戻すために書写師として働くことになる。ジールにだけは優しい悪魔の如き美貌と性格と能力を持つ店主と、天使のような(見た目の)少女の魔道ファンタジー。

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4

 彼女は一人でバルコニーに立っていた。
 美しい黒髪を彩っていた宝石も全て外し、肩に掛けていたショールも手に持ち、仮面も取り外していた。
 しかし誰も見ていないというのに、両の瞳は硬く閉ざされている。
 彼女の美貌は感情全てを持たずして生まれたかのように錯覚させるほど、作り物めいている。
 月の光は彼女の白さを強調し、その横顔を、まるで幽鬼のように儚くも美しく見せる。吐く息の白さまでも、どこか幻想的だった。そしてその息こそが、彼女に唯一の人間味を持たせている。
 風が彼女の長い髪を煽ぎ、さらさらと揺る。
 満月の夜のみに咲くという妖花の一種を思い起こさせる。至高の美しさを持ちながら、月の魔力により人心を狂わせる毒を持つ花だ。
 まさに彼女を表すのに相応しい。
「寒くないか?」
 ヴェノムはバルコニーの入り口に立つハウルに顔を向ける。
「いいえ。火照った身体には、夜風が心地よいほどです」
 裕福なハインツァー家は、自宅に立派な浴室があった。ヴェノムは食事の後、勧められるままにメイド達に香油などを全身に擦り込まれ、花の匂いを漂わせていた。髪も香りの強い洗髪剤で洗われたらしく、近づくとそれがはっきりと分かった。
「いい匂いだな」
「香水までいただいてしまいましたよ。ご婦人方御用達であるのも頷けますね」
 確かに、趣味のいい香りだ。ヴェノムによく似合う、品のある香りだ。さすがに色男なだけあり、女性受けのする趣味はいいらしい。
「来そうか?」
「さあ」
 ヴェノムは、ハウルの腕に手を置いた。ハウルはまだ少し湿っている、ヴェノムの冷たい髪に触れた。
「風邪ひくぞ」
「なら、入りましょうか」
「ああ」
 ハウルはヴェノムを抱き上げ、屋敷内に戻る。ヴェノムはその間に仮面を付けた。
 紅を点さぬ唇は元より赤く、このように暗い場所を下手に一人で歩かせれば、まず間違いなく出合ったメイド達が、幽霊か何かと間違えて恐慌に陥るだろう。そしてその後は、気の小さい者なら叫ぶか逃げるか気を失う。
 今までの経験からして、多少慣れても夜見るヴェノムは怖いらしい。ハウルの場合、初めてヴェノムの屋敷──というか、城に訪れたときは、日が暮れていたので怖かった。実は吸血鬼だ言われても、驚くことはなかったろう。
「寝室へ行きましょう。そろそろついていた方がいいでしょう」
「離れていても探索は出きるだろ。むしろ、その方が……」
「毎日、人を呪い続けるのにどれほどの費用がかかるか分かりますか」
「さあ」
「腕のいい魔道士のようです。そうでなくても、儀式の道具、消耗品だけでも馬鹿になりません。それがここまで毎日防がれれば、あの男のように痺れを切らして実力行使、という可能性もあります。例えば、悪魔を召喚するという手も」
 怖いことを、怖い容貌の人間が耳元で囁かないで欲しい。
 ヴェノムはほんの少し唇を動かした。
 笑みを浮かべているようには見えないが、楽しんでいるのは事実だろう。
「可愛いハウル」
 頬を撫でられ、人の心の深淵に不快を覚えていたハウルには、この手の暖かさが心地よかった。
「怖いのですか?」
 悪魔ではない。人の邪念が恐ろしい。
「……醜いと思う」
「私とて、人を憎むこともあります」
「人間は醜くもあり、それ以上に美しいものを持つこともできる。本人次第だろ」
「一体、あなたは誰に似たんでしょうねぇ?」
 ヴェノムは首を傾げた。
 どういう意味だと頭に来た。
 確かなのは、父親に似ているのは顔だけであるということだ。
「あんただろ」
「私は子供の頃からこうでしたが」
 ──つまり、それは昔から……。
 やはり、違うかも知れない。



 ラァスは腕に仕込んだ隠し武器のバネの調子を見た。瞬時にして飛び出て、標的の喉を切り裂くだろう。もう、何十人という人間の生き血をすすっている。呪われていたとしても、なんの不思議もない。
 何かに取り憑かれていたら嫌だなと、ラァスは時折不安を抱く。彼は幽霊の類が苦手なのだ。もちろん、仕事となればそんな恐怖も忘れてしまうのだが、何もない時に思いだして恐怖する。
 金の髪と顔は黒の覆面の中に隠し、黄金色をした瞳が表に出ていた。いつもは変装の一環で、ゴーグルによって瞳のまわりを覆い色を誤魔化すのだが、夜目が利かなくなるのが欠点だ。今回のような単独行動では、あまり身につけないことにしている。どうせ夜で、瞳の色など分からない。
 わずかに青みがかった黒いの対刃性の布で全身が覆われており、露出部分は目の周辺のみであった。腰には短剣と中剣が一本ずつ。ナイフなどは仕込めるだけ仕込んでいる。隠し武器も全身に散らばっている。ラァスのような子供がこれだけの装備を身につけると身軽さが犠牲になるものだが、魔力持ちのラァスは使われていないその魔力が腕力などに回り、大男よりも力が強いので苦にもならない。
「呪っても効果がない、ねぇ……」
 フォボスの話を聞いて、ラァスは呟いた。
 ラァスにとっては呪い自体が薄気味悪い。
 呪術師というのも、あまり好きではない。幽霊ではないから平気だが、あまり関わり合いになりたくはなかった。
 フォボスはそんなラァスを眺めながら続ける。
「ああ。呪いを人形に受けさせていたらしくてな。しかも、最近では魔道士を雇ったらしい。下手に呪いをかけて今度は返されでもしたらたまらないということで、うちに依頼してきたようだ。依頼人の『この世の残酷すべてを』という要望に応えたいところだが、まあ、最悪適当にバラして帰ってこい。毒を飲ませるのも良いが、魔道士がいては解毒魔法を使われる。即死でいい」
 呪文を唱える間もないほどの即効性の毒もあるが、それよりも喉を切り裂く方が簡単だ。
「わかったよ。でも、そのおじさんは何したの? まあ、あんまりいい噂は聞かないけど、そこまで恨まれるなんてさ」
「知る必要はないが……ハインツァーに心奪われてしまったご婦人達の依頼だよ」
 つまりは、好色と有名なハインツァーに弄ばれた女性達の激しい怒りの結果のようだ。しかも徒党を組んでいるらしい。
 ラァスには、どちらの気持ちも分からない。
 裏切られたくなければ、それなりの準備をしておくものだ。そして裏切る気なら、遺恨を残すようなことや復讐されるようなへまはしない。
 つまり、復讐など考えられなくしてやればいい。
 ほんの少しで廃人になるような薬もあれば、簡単な弱みの握り方もある。
「……すごい醜い」
「女とは、そういうものなんだよ」
「自分でやれよって」
 それは彼の思いの全てだった。
 需要さえなければ、供給する必要はない。こんな職業、生まれなかったのだ。需要があるから、闇は生まれる。そして無くなることはない。
「ターゲットにはもう近づくことすらできないそうだ」
「だいたい、そんな噂のある男なんだから引っかかる方が悪いんだよ」
「手厳しいな」
「まあ、引っかける男が一番悪いんだけど。行って来るよ。
 護衛の魔道士ってのはどうすればいい?」
「好きにしろ。これは対魔法の魔具だ。依頼者がくれてな。ある程度の魔法なら無に返してくれるらしい。相手に本気を出される前にどうにかしろ。魔道師は呪文を唱える時間がいるから、恐れる必要はない」
「うん。わかった」
 ラァスはにこりと微笑む。
 考えても仕方が無い。汚れた手は綺麗にはならない。戻る事は出来ない。
「……行って来るよ」
 それだけ言い残して、ラァスは二階の窓から飛び降りた。塀の上に飛び移ると、そのまま路地に飛び降りて走る。
 人々の寝静まるような深き夜は、彼らの時間だった。



 侵入経路はすでに決めていた。
 渡された屋敷の見取り図は、その外観からおそらく正確なものだのだと判断できた。おかげで仕事が楽に進みそうだ。
 見上げたそこは、大層立派な屋敷だった。悪辣なこともしなければ、これほどの財力を手に入れることはできないだろう。
 風が吹くと、冷たい空気が彼の服の隙間に入り込もうとする。走って火照った身体には、この早春の冷たさが心地よい。
 皮肉にも、頭は冴え、身体に羽根は生えたように軽かった。嫌だ嫌だと言いながら、身体はすっかり仕事に順応している。
 ラァスは見取り図と照らし合わせ、ハインツァーの寝室を見やった。狙われている自覚のある獲物がわざわざ自分の寝室で寝ているはずはないのだが、どうもそこに人のいる気配があった。いびきが聞こえるのだ。
 下品ないびきに、ラァスは顔を顰める。
 さすがに命を狙われながらも、こんなに大いびきをかいて寝る人間というのは珍しい。毎日の慣れからだろうか。毎日のように呪いをかけていたというから、それも理解出来なくもない。それよりも、そこまでできる財力のある女の方が謎は大きい。気になるが、依頼人の詮索はラァスのすべきことではない。
 しなければいけないのは、考えることだ。
「……身代わりかな?」
 口にしてラァスは違和感を覚えた。身代わりにしてもおかしい。
 庭に散らばる数多くある暗がりの一つに潜み聞き耳を立てていたが、きりがないので行動に出ることにした。
 二階に上がるために、金具のついたロープを投げる。バルコニーの手すりに上手く絡みついた。ほんのわかな音が発せられたが、小さな、鼠の足音程度の音である。
 ラァスはロープを軽く引っ張ると、ものの数秒でバルコニーまで登ってしまう。華奢に見えるが、体つきは本当に華奢なのだが、それでも見た目とは裏腹に、魔力のおかげで強腕の持ち主なのだ。しかも、彼の瞳は世間一般では金の聖眼とも呼ばれる、黄金色の瞳である。金は大地を象徴する色で、大地は生命を育む力強さを象徴する。つまり、この力は瞳の恩恵なのだと、組織内にいる数少ない魔道士に聞いた。
 魔法などという、妖しい技術に頼るつもりはないが、この力には感謝している。組み倒されても、あっさりと巨体を持ち上げられるのだ。
「っと」
 バルコニーの上にはい上がり、カーテンの閉められた部屋の中の気配を探る。規則正しい寝息。確かに寝ている。
 ラァスは窓ガラスを切って、小さな穴を空けて鍵を外す。中の気配が代わらないことを確認し、そっと窓を開けた。
 寝ているのは、ラァスでも見覚えのある男。中年と呼ぶにはまだ若々しさがあるが、若者と言うには歳を取りすぎている、二枚目の男。
 今や豪快ないびきをかいて普段の紳士ぶりなど嘘のようだが、確かにメイナード=ハインツァーその人であった。
 高価な身代わり人形の存在で、安心して眠っているようだが、そんなもの、二度殺せばいいだけの話である。これならば、クライアントの願い通りに拷問も出きそうだ。
「いい気なものだね」
 これから殺されると言うのに。
 それを意識すると、手が震えそうになる。心は冷めていたはずなのに、ここに来てその心が震えた。
 耳鳴りがする。
 よく知らない、高価な香水を販売している男。そして、多くの女性をゴミ同然に扱ってきた男。女性を連れて金のかかる遊びばかりしていた男。
 ラァスは縛り付けるために、細い紐を取り出す。
 首を絞めてやるのもいいだろう。この男がいれば、被害者が増えるのは間違いないのだ。躊躇うことはないはずだ。
 ラァスは深呼吸して、周囲を見回す。成金丸出しの悪趣味な部屋だった。趣味の悪い身代わり人形は、ハインツァーの枕元にあった。
「……こんなのがねぇ」
 気を紛らわすための、小さな独り言。
 それよりも先に、ハインツァーを縛らなければならない。紐を手にし、鋭利なナイフを構えた。
 ここがここでないような、自分が自分から離れて上から見ているような、不思議な感覚に襲われる。夢の中、自分自身を見ているような、奇妙な感覚。
 冷ややかに彼は両手の間で紐をピンと張らせた。
「こんなものでも、かけられた技は本物ですから……その方に下手なことをすると、大変な事になりますよ」
 ここに来てぼぅと霞がかっていた頭に、水をかけるような言葉が彼の耳に入る。
 ラァスははっと我に返り、振り返ろうとした。今の今まで、気配はまったくなかった。
 それなのに──この声は彼の背後から聞こえた。
 振り返らなければならなかったのに、ラァスは身動きがとれなかった。
 感じるのは、悪意も殺意もない、透明な……恐ろしく感情の感じられない気配。それが、突然背後に現れたのだ。
「な…………」
「まさか……人間が来るとは思いませんでしたが」
 首に、細い……本当に細く繊細な指が巻き付いた。
 声からして、女。
 ラァスは左手で右腕の手甲に仕込んだ刃を出し、背後へと斬りつける。手応えはなく、いつの間にか喉に巻き付いていた指の感触が消えていた。
「ちっ」
 舌打ちする音が聞こえ、ラァスは腰から抜いた短剣を前に出す。高価な魔石で飾られた実用的な短剣が、目の前で火花を散らせた。部屋の中に、もう一人いたのだ。
 ラァスがなんとか剣を受けると、剣の持ち主はすっと身を引き、しかし、すぐさま前に出た。
 ラァスは横から薙ぐ一撃を左手の短剣で受け、右手の仕込み刃を相手の喉に向けて突きつける。首を貫く寸前、相手はわずかに横に移動し、紙一重で刃を避けた。ラァスは刃を横に薙いで逃げた首を追い、潜んでいた人物は、剣を首の横まで瞬時に持ってくるとラァスの刃を止めた。
 相手は背の高い男だった。どこに潜んでいたかは知らないが、かなりの手練れである。騒がないところを見ると、このままラァスを撃退する自信があるのだろう。
 ラァスは距離を取り、持っていた瓶を取り出し床に叩き付けた。ラァスは覆面に触れて、しっかりと押さえつける。
「毒か」
 少年の声が聞こえた。気付いたのはなかなか。しかし、遅い。すぐに人を呼ばなかったのが仇となった。この毒では死にはしないが、吸い込めば身体は動かなくなる。その間に殺せばいい。
「ちぃ」
 少年と思わしき男は大きく腕を振った。その瞬間、がん、と音を立ててラァスが進入した窓が開き、強烈な風が吹き込み、こもるはずであった毒を散らす。
「ったく、危ないことしやがって」
 少年がこちらに手を伸ばすと、ラァスが割った瓶の中に入っていた液体が全て吹き飛んだ。
「魔道士っ」
 魔道士の存在。
 忘れていたわけではない。魔道士がこんなに上手く気配を消せて、これほどの剣技を持っているなど、想像もしていなかったのだ。
 ラァスは舌打ちし、別の武器を取り出そうとした。そのラァスの腕を背後から軽く触れ、そして喉の頸動脈に触れる手があった。
「あら……子供」
 仕事を始めてから、背後に忍び寄られながら気づかないなど、今日まで一度もなかった。
「…………」
「脅えなくてもいいですよ。君をどうこうするつもりはありませんから。こういう職業は、本人が望んでなるものではありませんしね」
 首から、肩へと手が移る。ほんの少しだけ安堵したのは、やはり職業柄。
「君はどこの手の子ですか?」
 耳元へ、囁く吐息は暖かく、今の気持ちを代弁するかのように白かった。それでいて、この声は頭が痺れそうなほど冷たく魅力的だった。気が付くと、ラァスは女の方を向かされていた。
 逆光で顔は見えないが、均整の取れたプロポーションの女だということは分かった。魅惑的な香りがした。
「君は、どこの子ですか?」
「…………」
 無言のラァスを見て、彼女は肩をすくめた。
 背後に、小さな明かりが生まれた。ラァスは闇に慣れすぎた目が痛くて、反射的に目を硬く閉じた。
「子供には、相変わらず甘いな」
 声変わりする前の、少年独特の高い声。
「もちろん」
 目を開けると、女の姿が見えた。
 綺麗な女の人だった。黒髪に──不気味な赤い瞳。
 邪眼だ。
 血色の瞳は邪眼と呼ばれ、殺したいと念じて一瞥するだけで、その視線を受けた者は皆死ぬという、呪われた瞳。
「…………っ」
 ラァスは赤い瞳に射抜かれ、身動きが取れずすくみ上がる。常に死と隣り合わせだったのに、これほど死というものを身近に感じたことはなかった。
「まあ、金の聖眼。半世紀ぶりに見ます」
 顎を手に捕らえられた。そして、赤いのに氷のように冷ややかな瞳が、ラァスの瞳を捕らえた。
 敵わない。
 この女だけは、けっして、けっして人の身で手を出していけない領分なのだ。
 内に眠る魔力が、そう本能に呼びかけていた。
「脅えてるだろ。ただでさえ怖いんだから…………あれ?」
 静かに言った少年は、ラァスを見て首を傾げた。
 ラァスも彼を見て驚いた。
 銀の髪、青の瞳。
 忘れるはずもない。昼間に見た、目を見張る美貌の少年。
 その少年の手が、硬直しているラァスの覆面をはぎ取った。絶対に抵抗しなければならないところだったのに、何も出来なかった。
「まあ、なんて可愛い」
「……あっ、やっぱり昼間の」
「?」
 邪眼の女は表情を変えずに少年を見た。
「ヴェノムがぶつかった子だよ」
「ああ」
 女──ヴェノムは手を打った。仮面の下に隠されていたのは、この血のような色をした、氷のような冷たい瞳。だから目を見られないために、あのような仮面を身につけていたのだ。その瞳が、じっとラァスを見つめていた。
「しかし、意外だな」
 ハウルはラァスをまじまじと眺めながら呟いた。
 同時に、ラァスもハウルを眺める。
 帯剣しているが強そうには見えない。ヴェノムにいたっては、杖すら持っていない。
 その視線があれば、こちらが手を伸ばす前に殺せるという油断だろう。
 だが、手はある。
 考えるよりも前に喉を掻ききってやればいい。このままでは魔法によって誑かされ、自白してしまうだろう。そうなれば、どのみち仲間達に殺される。もしくは、指輪に仕込んだ毒を自ら飲み込むか。
 どのみち死しか待ってはいない。
 ならば、少ない可能性をかけて、やるしかない。
 相手は魔女。
「お前、本当に………」
 ヴェノムがハウルに視線を向けた。
 瞬間、ラァスはヴェノムの喉に掴みかかった。
「っ」
 目に見えぬほどの速さ。
 赤い瞳が輝く前に──
 ラァスは気が付けば、ベッドの上に組み敷かれていた。
 ベッドにいたハインツァーは、きぃきぃと鳴きだし、一瞬にして醜い化け物へと変化して、部屋の中を飛び回り穴の開いた窓から飛び出していった。
 そして今、ラァスの顔を覗き込む赤い瞳は、目と鼻の先。
「…………な」
「駄目ですよ。子供がおいたをしては……」
 ひょいと、横からハウルがナイフを奪った。
「君のところの頭目は、ひょっとしてフロウツですか?」
「な……」
「素直ですね」
 彼女はやはり、にこりともしない。その笑わない美貌を歪めることなく、淡々とそれを口にした。
「貴方は赤き月の子ですね」
 ──終わった……。
 魔女だからといって、体術が苦手だという理由はないが……相手が悪かった。
 たとえヴェノムに魔術や邪眼がなかったとしても、太刀打ち出来そうにもなかった。それに、フロウツ、フォボス=フロウツというのは、通り名ではなく、彼らの頭目の本名である。まず間違いなく、責任をとらされる。
 未来はどんよりと曇っている。晴れない空に、霧に覆われた道。瞳を閉じれば太陽も月明かりも見えない。
 どうせ、仕事に嫌気がさしていたのだ。
 未練など、ない。
 ラァスは指を口元に運ぶ。指輪に隠された硬い球。これを噛み潰せば、一瞬で死ぬ事が出来る。
「ぼうや、おいたはいけないと言っています」
 邪眼が、緋色に美しく輝く。まるで紅玉のような美しさに、ラァスは目を奪われた。そして、魅入られた瞬間から動けなくなった。指先まで金縛りにあったようにぴくりとも動けない。
 ヴェノムは指でラァスの口をこじ開け、かみ砕かれる寸前だった毒を取り出した。
「何だ? それ」
「本来なら、食べ物に混入させてる毒です。最近では、自害するために使われるようですが」
 かみ砕くか、飲み込んで胃液で溶かすかしなければ、口に含んでいても安全な容器に入っている。小さな黒い球体で、気づかれてもゴミか何かとして処理されてしまうのだ。
 利点は、食べ物そのものが毒に侵されることはないし、他の何かに毒物が付着することもないので、原因がつかみにくい。病死とされるケースも多い。
「物騒だな」
「まったく、子供が死に急ぐものではありません」
 こつんと、拳にした指の、第二関節で額を軽く叩かれた。
 ──なんで……。
 頭の中がぐちゃぐちゃになる。恐ろしいと思った相手に、なぜかまっとうな言葉をかけられる。
「……ひょっとして、怖かったのですか?」
 ほんの少しだけ悲しげに言って、彼女は身を離しテーブルの上に置かれていた仮面を身につけた。
 赤い瞳を隠した彼女は、これで安心とばかりにラァスへと向き直る。
「大丈夫か? こう見えて、子供好きだから、何もされないからな」
 ハウルは剣を鞘に収め、優しく微笑んで言う。
 第一印象で、冷たそうな印象を受けた少年だが、その笑顔はまるでやんちゃ坊主のようであった。見た目で人を判断してはならないと言われ続けていたが、ラァスは彼の笑顔に少し驚いた。
「帰って、もう手を引いた方が無難だって伝えろ。邪眼の魔女だって言えば、伝わるから」
 その言葉で、ラァスはこれから先の現実を思い出す。
「……なんで」
 ハウルは言葉の続きを持つようにラァスを見た。
「ようやく……踏ん切りがついたのに……」
 また戻らねばならない。
 先のことを考えると、いっそここで死にたかった。戻っても、皆、裏切りだと疑うのだろう。そんなことを言って、信じてもらえるはずがない。抜けたいと言っていた、直後にこれなのだ。
 それぐらいなら、仕事の途中で死にたい。
 疑われるぐらいなら。
「……もう……やだ」
 なぜ、彼らはこんな時に優しくするのか。見ず知らずの、悪行に手を染めている小僧に。
 最後の最後に──なぜ……。
「え……ちょ……」
 ハウルは泣き出したラァスの前で狼狽し、ヴェノムに助けを求めるように視線を送る。
「泣いていてはわかりませんよ。お姉さんが聞いてあげますから、話してごらんなさい」
 やさしく、頭を撫でられた。温かい手。何度も何度も、子供をあやすように、何度も、優しく。
 忘れていた、暖かい感覚。こんな風に撫でてくれたのは──
「母さん……」
 幼い頃に、やせ細った白い手で──
 思い出すと、またぼろぼろと涙が出た。
「誰がお姉さんだよ、ババアのくせに」
「だまりなさい」
 ヴェノムはハウルに何かをぶつけてから、ラァスをベッドに座らせ、自分も隣りに座り、安心させるように肩を抱いた。
 暖かい。
 大人の女の人に抱かれて、こんな気持ちに今までならなかったのは、相手にあるのが醜い欲望だったからだろう。だが、この人は違う。まだ若いのに、母親のような行動を取る。
 裏を持たずにただ力になれるからと、言われたのは初めてだった。
 仲間達ですら仕事上の関係だから声をかけてくれる。無能だったら、気にもかけてくれなかっただろう。
「…………ただ、抜けたいと思ってただけだよ」

 
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魔道書店の稀書目録 ペンの天使に悪魔の誘惑 (一迅社文庫アイリス) 魔道書店の稀書目録 ペンの天使に悪魔の誘惑
7/18発売
盗まれた〈天使の書〉の噂を聞きつけてメイザス魔道書店にやってきたジールは、奴隷にのようにこき使われている天使達と出会い、〈天使の書〉を買い戻すために書写師として働くことになる。ジールにだけは優しい悪魔の如き美貌と性格と能力を持つ店主と、天使のような(見た目の)少女の魔道ファンタジー。

2011/09/04   魔女の弟子   1106コメント 2     [編集]

Comment

 

社怪人8516   誤字   2011/09/04   [編集]     _

非婚で→ひっこんで

だと思います。

しったら8517     2011/09/05   [編集]     _

あぁ。。。ラァス君がまだ可愛い。。。


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